母のことを思って、母が亡くなった翌年に書いた文章。
記憶のために。。。
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「コスモス」
もうすぐ実家のまわりは
コスモスが咲き乱れる頃・・
赤や白やピンクのコスモスが
それはそれは、いっぱい
「秋桜」という歌があるね、おかあさん
あの歌、私はもう歌えない
だって歌い出した途端、泣き出しそうだもの
お母さんはコスモスが咲き乱れる中
逝ってしまったね
お花が大好きだったお母さんの棺に
正栄おじさん
コスモス一輪入れてくれたんだよ
知ってる?
お母さん、野に咲く草花が大好きだったね
そう、、、
お母さんって、コスモスみたいな人だった
コスモスが野に咲き乱れる季節がやってくるたび
お母さん、あなたのこと
恋しくてたまらなくなるんだろうと思います
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「無 題」
おかあさん
あなたの骨がこんなにちっちゃく
跡形もなく出てくるなんて
思わなかった
頭の形すらわからないじゃない
あんなに骨太だったのに
あんなに大きな人だったのに
骨になったお母さんはピンク色をしていた
モルヒネの投与で
こんなにもろく
こんなに赤くなったのね
こんなに一人で痛みと戦ったんだね
骨になっちゃうの
とっても早かった
病気のせいでもろくなってた
普通よりすごく短かった
お母さんが骨になりつつあるとき
ずっとお焼香を絶やさないようにと
言われてたから
時間を見ては行ったけど
お父さん
ずっとそばにいたね
お焼香あげながら
つぶやくように歌を歌っていたね
お母さんに語りかけているようだった
最後の夫婦二人だけの時間
そんな光景だった
だから私は、その場をそっと離れた
あの光景
私はずっと忘れない
お骨になったお母さんを入れた骨壺
抱き抱えたら
とても暖かかった
お母さんがまだ
生きてるような気がした
(2000年9月)