今日9月25日は母の命日…(1)

 
1999年の今日、母は逝ってしまいました。
膵臓ガンでした。
父によるとその年の2月頃から、とにかく腰が痛いと言っていて、
いろいろな整骨院や整体へも行ったのに良くならず…
父はそこで似たような症状だった友人を思い出し、
もしかしたら…と思ったそうです。

母が検査入院したのが7月。
義父の車を借りて、駆けつけました。
結果は、末期ガン、余命1か月くらいとのことでした。
私は実家に残りましたが、しばらくすると
「夫を一人残すものじゃない。仕事もあるのだから、東京に帰りなさい。」
と母に言われ、
当時働いていた父一人に託すのは申し訳ないと思いながらも、
東京に戻りました…。
姉もまだ子どもが小さかったので、夏休みの終わりとともに盛岡へ…。
後から聞いた話では、どうやら母は、自分の死期を悟り、
父と二人の時間を持とうと思ったからのようです。

でも、やはりガンの進行は早く、
まもなく、私はまた一関に戻ることになりました。

私は母が37歳の時の子どもだったので、当時の私にとっては、
病人介護と老人介護が一度に来てしまい、
そんな経験がない私にとって、家で看病をするということはとても辛かった…
でも、検査入院から含めて、私が母の介護をしたのは、たったの2か月でした。
2か月で逝ってしまいました。
おそらく、どれほどの痛みを耐えていたのだろうかと思います。
ふくよかだった母は、亡くなる時には本当にやせ細っていました。
でも、何人もの身内のガンを看取ってきた母は、
とっくに自分のこともわかっていて、ちゃんと父には遺言を残したそうです。
私には亡くなる前日まで、
「病人の床ずれを防ぐためにはこうするのよ」と口頭で教えていた母でした。

小説になってもいいような色々あった母の人生…
やはり母はとても強い人でした。最期まで。
私の誇りです。
もう少し早く、私が自分のインナーチャイルドを乗り越えて、
仲良く出来ればよかったなと、最近心から思います。
それでも、最後の2ヵ月間、ちゃんと側にいられたことは、
本当によかったな〜と思います。

私もあなたのように、しなやかで強い女性になりたいと思います。
お母さん、本当にありがとう。
年を経る毎に、そう心から思います。ありがとう…

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