少し。。過去語りなど。

バブル。。。ねぇ。。。
私はあまり縁がなかったなぁ。
映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」を見て、
あったあった!って思ったけれど、自分が実際に体験したことは一部分だったしな〜(笑)

ま、会社のボーナスはよかったよね、その当時は今よりきっと。
だから、初めて海外旅行にも行けたわけだし。
それまで貧乏暮らしの私には行けなかったからねー(笑)
たぶん、外面的には、今より普通の人とお金持ちの間には、差があったように思う。
それをなくしたのがバブルだったのかな。。。

あっしーくんも、めっしーくんもいなかったし、
田舎から出てきて、大学卒業した一人暮らしの身には、
洋服買って、時々美味しい物食べに行って、というくらいで、
贅沢なんてできなかったな〜。
大学時代も、びんぼー生活だったしなー(笑)
なんせ、大学時代は銭湯通いだったし。
周り結構みんなそうだったから、なんとも思わなかったけど(笑)
私が大学生の頃は、国公立はまだ私立に比べると学費が安かったので、
自分で学費も生活費もバイトで稼いで払ってた人が、知り合いでも何人かいる。
でも、大変だったと思う。。。
学校に来ない人も沢山いたしね。。。
それは今も同じなのかな。。わかんないや。

家庭教師は、私は本当に向いていなくて、
だから、教員になるつもりもないから、教職なんてとらないって思った。
でも、それを言ってしまったら、教職員が多かった父方のことを考えると、
父が悲しむだろうと思って、直前まで言わなかった。
それも罪だったけどね〜。

「あ、とってないから、教職!」
…絶対、ショックだったよね〜!

でもね、教員になる気がないのに、教職をとって教育実習とか地獄だと私は思ったし、
自分がイヤだと思うことに労力を使うなら、
自分が覚えたいこととか、興味があることに使った方がいいと思ったから、
親不孝娘になっちゃったけど、そうしたの。
だって、絶対ならないのに、それに関する資格とか要らないもの。

あとね。。。
周りに教師が多かったから、絶対教師にはならない、と思ってしまった例。←わたし(^-^;

そこでね、面白かったのが母の仕事。
まだ私が小さい頃、警察官をやめて公務員になった父を、経済的に支えた母の和裁。
元々上手だったらしいけれど、姉曰く、ちゃんと学ぶために、母は学校に通ったと。

母は腕が良かったので、かなりいい反物を裁縫する機会が多くて、
私は出来上がっていく様を見るのが好きだった。
平面からどうしてこんな立体になるの?って、不思議だった。
よく、母に、「そこに立って!」って言われて、
反物をあーだこーだと、柄合わせしてたことを今でも思い出す。
どこにこの柄を持って来たら一番いいのか、その出来上がっていく様を見ているのが、とても好きだった。
とても高い絞りなど、本当に針が通らないのよ〜って言ってたなぁ。。
母のお蔭で、着物と帯に対する見方は、今でも私の中にあると思う。

だから、私の小さい頃の夢は、洋服のデザイナーか、美容師さんだった。
今、形は違うけれど。
こうしてWEBの仕事をしているのは、やはり母の影響なんだろうと思う。
そして、証券会社秘書→医学学会運営会社事務→法律事務所秘書→と経て、
この仕事をしているということは、好きな仕事、やりたかった仕事をしているということなわけで、
いろいろなことに有り難いなあと思う今日この頃です♡

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