治癒と寛解とお見舞いの言葉

治癒と寛解。
この違いで、お見舞いの時の言葉の受け取り方が違うのだなと、今回思いました。
今はもうなんとも思わないのだけれど、病名がわかったばかりの頃は、普段自分も使ってきたお見舞いの言葉なのに、どう返していいのか戸惑いました。
私が感じた、言葉の難しさ…
そんなことを書こうかなと思います。

 
「お大事に(なさってください)」

「お大事に」
「ありがとうございます」
「お大事になさってくださいね」
もうどれほど伝えたり受け取ったりしてきただろう。
最もポピュラーなお見舞いの言葉です。
でも、いつからかな、前回の先月、お腹が破裂しそうになって緊急入院して少し経った頃から、この言葉にチクっとした違和感を感じるようになりました。
お大事にという言葉に、なぜか素直にありがとうと書けない、『……っ(モヤモヤ感)』と言葉が詰まる感覚。。。

理由がわかったのは、「早く治りますように」とお見舞いいただいた時でした。
治る…治る?治るかぁ。
ん〜、手術が上手く行っても、「治る」わけではないんだよなぁ…と、また手が止まってしまう。

この時思ったのです。
あぁ!「お大事に」と言われて、ありがとうございますと素直に返礼できていたのは、風邪や体調不良、軽い怪我のように、それが治るものだったからなんだな〜と。

風邪のような病気なら、「早く良くなりますように」の意の「お大事に」に、「ありがとうございます、早く治して元気になりますね」と思える。
でも、手術しても治るわけではない、ましてや今はまだ手術前で、本当のところは手術をしないとわからない状況で、お大事にと言われても、何て返せばいいんだろう、ありがとうございますと素直には出てこないなぁ…と、どこか捻くれたような感情が湧き起こってしまったのでした。

「お大事に」には、もう一つ「大事に至りませんように、病気が悪化しませんように」の意味もあります。
でも、もう大事に至ってるしなぁ…と、一度芽生えた捻くれた感情は簡単になくなることはなく、お大事にと言われる度に、「……っ(モヤモヤ感)」となってしまうのでした。

「お大事に」も、「早く治りますように」も、相手の気持ちは凄く伝わってくるのに、こちらの心が頭がそれを素直に受け取れない…
なぜ引っかかるんだろう、性格悪いのかな私…と思ったりもしました。

 
そんな時、病名を察した古くからのネットのお知り合いが「早く寛解になるように」とメッセをくださって、そこで、あぁそうか、寛解かぁ…と、モヤモヤしていたものが腑に落ちていったのです。

治る=治癒と寛解の違い。
でも私は病名を出していないのだから、治るものと思って励ましの言葉をくれるのは当たり前なんだよなぁって。。

 
手術は無事成功しました。
99%覚悟していた悪いパターンも避けられました。
本当に先生はじめ携わってくださった方々には、感謝の思いでいっぱいです。
同時に、暖かいお見舞いや励ましの言葉をくださった方々の思いも、本当にありがたかったなぁと心から思いました。

そしてそれと重なるように、いつの間にか、「お大事に」へのわだかまりも無くなっていました。

本当にありがとう。
今はその気持ちしかありません。

 
さて、最後に、では私ならどう声をかけるのか…
1周回って、やはり「お大事になさってください」になるんでしょうか(^-^;
「少しでも良くなりますように」とお伝えすることが多いけれど、うーん難しいですね〜。。。
今後自分は何て声をかけようかというのは、まだまだ考えてみたいなと思います。

まぁ、これはあくまでも、私個人が感じたお話です。
その身になってみないとわからないことがあるなぁと、その一つとして記してみました。

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